MIDIの隆盛と衰退について

卒業論文MIDIゲームミュージック社会学??高度情報消費社会論・試論』
http://www.geocities.co.jp/MusicStar-Piano/5159/study/midi-gm.htm

ってどうだろう。MIDIを知らない人は読んでおいても悪くないと思うけど個人的にはいろいろと、なんか違うんじゃないの、見たいに思っちゃうところも多い。枝葉末節かもしれないけど例えばひとつ文句を書くと以下のような感じになる。


そもそも1990年前半において、MIDI楽器を使って音楽を作らなきゃいけなかった理由ってのは明確でありそれはすなわちPC本体には音楽を作れるようなハードウェアスペックがなくて専用機器に頼らざるを得なかったからである。

でも、MIDIデータすなわちSMFだとかその他どこかのソフトに特化したデータ、による音楽データの交換が行われていた理由ってのは、当時は通信コストがとてつもなく高かったし音データを効率よく圧縮するフォーマットなんてのもなかったから、録音した音楽そのもののデータを共有するなんてことができず、演奏用のデータを共有する程度しかムリだったからなんである。


1990年代のボクたちにとって生産者側の人たちが自分の作った音楽を共有しようと思ったら、どこかの機種の内蔵音源用のしょぼいデータを置くか、MIDIデータを置くしかなかった。
そして消費する側の人が、そのMIDIデータを聴こうと思ったら、単にそのデータを再生するためだけなのにMIDI音源が必要だったんである。もしくはMIDI音源を持っている友達の家で再生したものをテープに録音するとかの手間が必要だった。
どうしてMIDIなんか使ってたんだろう? なんて疑問が、今の人からは出てくるかもしれないけど、そうしないと音楽が交換できなかったんだからしょうがないじゃないか。


だからMIDIの衰退を語るなら間違いなくその理由のうちの最大のものは
「自分の作った音楽をWebページに乗せたいときにはMP3形式で置いておけばとりあえず誰でも聞けるような状況になったから」
ということであるはずで、だからこの卒論にMP3という言葉がまったく出てこないのはなんとなく納得がいかないんである。



ところでこういう、通信コストが高かったりなんかメディアに不都合があるせいで本来あるべきフォーマットじゃなくもっと抽象度の高いデータで送ることによって不思議なデータが蔓延してしまう文化、ってのは他のメディア、例えば静止画でも動画でも小規模ながら発生しているわけで(例えば、静止画の場合は1984年のテクノポリス誌あたりに載っていたアニメ絵を描くだけのプログラムとか、それから2chで発生していたAAとかがそれにあたるんだろう)、ただ、MIDIの場合だけどうしてこう大規模だったのかってのは気になるよなぁ。この卒論を読んでもよくわからなかったんだけど。

実は、第3章と第4章はこういう文体になれていない俺には難しすぎてあんまりよくわかりませんでした(・ω・`)