「キオクシアを手放して巨額の利益を得ることができなかった東芝が云々」みたいなやつ

別にそう思うのはいいし、それでフラッシュメモリ事業を手放して東芝ってバカだよな、みたいなことを考えるのもいいんだけどさ、でもそれって、
「上場から半年間くらいずっと2000円くらいをうろうろしていたキオクシア株。例えば去年の1月から8月のいつでも、20万円分を買っていればいまごろ1000万円になっていたのに、それ買わなかったやつはバカだな」
ってのとほぼ同じことを言ってるだけだと思うんだよね。自分ができなかったことを、やらなかったからって他人だったら責めるって頭悪いじゃん。


そのような話、あるいは東芝がメモリ事業を手放した後NANDメモリ事業は赤字転落していたことをGeminiと話していたところ下記のような結論になっています。自分が思っていることもだいたいこんな感じです。

当時の状況と、ご指摘の論点を論理的に整理します。
東芝メモリ(キオクシア)売却当時の2017〜2018年はメモリーバブルの絶頂期でしたが、ご指摘の通り、その直後から市況は急悪化しました。

2019〜2020年の市況悪化:スマホ需要の減速や価格暴落により、東芝メモリ(現キオクシア)は売却後まもなく数千億円規模の最終赤字や営業赤字に転落しました。

2023年の歴史的大赤字:さらに記憶に新しい2023年3月期・2024年3月期には、半導体バブルの反動(コロナ特需の終わり)により、キオクシアは過去最大規模(数千億円クラス)の純損失を計上しています。

もし東芝がこの事業を持ち続けていたら、親会社である東芝本体の業績や財務基盤は再びガタガタになり、メディアや市場からは「なぜあの利益が出ていた絶頂期に高値で売却しなかったのか」「無能な経営陣のせいで会社が傾いた」と、今とは真逆の理由で激しく糾弾されていたことは確実です。

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結果として、現在のAIブーム(2024〜2026年)によるキオクシアの業績回復や、想定される巨額の時価総額だけを見て「東芝は失敗した」と語るのは、途中の「地獄の赤字期間」を無視した、典型的な結果論(後知恵バイアス)と言えます。

住宅ローン組まなかった話

4年前に家を購入した。購入前の見積りをするまでは住宅ローンってやつをやるんだろうなと思っていた。当時金利が超低金利時代で変動金利で0.25%とか言われていた。住宅メーカーが勧めてきたローンは0.395%だった。住宅ローン減税はローン残高の0.7%がそのまま所得税の支払いから減額されるので、何が何でも借りて減税してもらったほうが差額の0.3%分、毎年得する計算になる。やらない理由がないとのことだ。しかし0.7%というのはどれくらいなのかというともし3000万円借りていれば21万円。0.3%は9万円。3000万円という金額に対して年間9万円はちっぽけに感じるかもしれないがそのあたりをきっちりとっていくのが金持ちになる秘訣だ。


しかし実際に家を買う段になってみると、まず住宅ローンの借入時に事務手数料として借入金の2.2%がかかってしまうというのがわかった(それまで知らなかっただけ)。借入総額の2.2%を0.3%で相殺しようとすると8年かかってしまう。収支がプラスになるのは9年目以降*1。9年目以降は毎年借入金の0.25~0.27%くらいずつ儲かる計算ではあるものの微妙。13年経てばトータルで借入金の1%くらいのプラスになる…


たしかに1%は小さくはないが、これでもし途中で金利が上がったら、例えば5年目に0.1%金利があがるとするとそれだけで13年目の収支は0.3%(つまり3000万円借りて10万円ようやく得するくらい)に減ってしまうような計算だ。その後8年目とかにもう一度0.1%上がったらもうマイナスである。当時の雰囲気から考えてこれは十分にありうるシナリオ、というかむしろ楽観的な想定であることは間違いなかった。当時の僕にはちゃんとした知識がなくて、金利が0.25%刻みで上がっていくなどということも知らなかったのだが。


住宅メーカーはそれでも住宅ローンを勧めてきた。オトクなんですよと。
しかし、僕が住宅ローンを組むことによって得するのは誰なのか、それは銀行である。損するのは誰かというと、納税額を減らされてしまう国である。そしてすべてのリスクを負うのは僕だ。銀行はほぼノーリスクで確実に手数料という収入を得られるのだ。なんか考えれば考えるほど納得がいかない話じゃないか。なぜ僕がリスクを負って、本来納税されるべきだった金を銀行に手数料や利息として支払うのか。これは良くないことのような気がした。だから住宅ローンを組まずに現金支払いした。所得税はちゃんと納税してしかるべきところに使ってもらおう。


正直なところこれは住宅ローンを組みたくないロジックとして考えたものであって、本当の理由は毎年の確定申告がちょっと面倒になるのがイヤだった、みたいなことだった。でももし住宅ローンを組むことが本質的に良いことだったらそんな手間を惜しまずにローン組んでたと思う。


最近読んでいた漫画、「潮が舞い子が舞い」の41話に、下記のようなくだりがあり、当時の意思決定を思い出して書いた。しかしこんな話してる高校生は実在するんだろうか。

真鈴「無宗教である私は、人間である意味が欲しいのです。この支配してまで栄える種としての意味を」
真鈴「ホモサピエンスの繁栄に適う善行」
真鈴「それは理性と倫理に裏付けられた善行でないと、人間である必要がなくなってしまう矛盾に陥ります」
真鈴「この文明は一人一人の小さな善行で成り立っています」
真鈴「誰かに直接善くできなくても、社会に還元すれば、巡り巡ってその人に善行したことになると思うんです」


百々瀬「それが納税なんだろ」


結果的に予想通り利上げの基調となり今では0.4%だった金利は0.8%になっており、「もし5年目に0.1%上がったら」どころの話ではなくなった。つまり住宅ローン単体で見れば、ローンを組まなかったことは完全に正解だった。しかし、住宅ローンを組んでいたらそのときの資金を相当何かに投資していた可能性が高く、そうするとそれはまあ2倍くらいになっていたのではないかと思われ、そうするともっと納税できたということになるわけで、結果的にどっちが良かったのかはよくわからない。
さらに、あのとき住宅ローンを組んでいたら、まだローン支払い中なので、退職しなかったかもしれないしやっぱり退職していたかもしれない。こっちもよくわからない。

*1:このへんは4月に借りた想定で計算していたが、細かい数値は計算によって変わるかもしれない

退職していました

去る3月末にて長年勤めてきたJTCを退社しました。

  • 去年の末にかけて会社が早期退職を促すような施策を打ち出して、3/31に退職することにすれば(つまり、退職金の支払いが2025年度に完了するタイミング)、退職金を割増してくれるという。なぜリストラするのかの説明としては、「間接部門が厚すぎる。だから間接部門に限らず、単純に人を減らしたい」とのことだ。その2つの文の間がどう接続されるのかわからないが、50~55歳の人なら誰でもいいから辞めてほしいらしい。そんなことある? 説明足りなさすぎん?
  • わかるんだ。(2025年から見ての)来年度の経営数値を通常より良く見せたいなんらかの理由があり、そのためには固定費を減らしておきたい。来年度の売上は今年度(2025年度)の資産で達成できるので来年度に開発力が激減してもそこから1年間くらいはまあ数字に出てこない。だから今年度に退職金を払ってしまって来年度に身軽になりたいんだ。
  • そもそも弊社(当時)の弱点としてよく指摘されるのは年齢構成が高齢者に偏っているということだった。同じ人数であっても若い人の比率が多くないと株式市場ではNGと見做される。ネットの掲示板を見ても、別の会社ではあるが、経営とか技術とかは何も見られず、社員の年齢構成だけを見てボロクソに批判されていて、その結果株価が低迷している会社がすぐ近くにあったのだ(なお、その会社は去年末頃から株価が上がってきて、そのような批判を受けなくなった。年齢構成そんなに変わってない筈なんだけど)。
  • 現場に近い部長あたりからは、さすがに辞めてほしいなんてことは言わなかった。「あなたがたは得難い人材なのでぜひ残ってくれ」というようなことを言われていた。でもトップや人事から「50代は要らないんだよ。会社にしがみつく人は居るとは思うけどね」みたいなメッセージを出されて、それで辞めないって、それはどうなんだ。
  • 自分はこの会社での待遇にはあまり不満はなかった。会社の施策が頭悪い感じだったり、社長やCTOが出してくる方針には全く賛同できなかったり、スローガンがダサくてムカつくことは多々あったんだ。だがそういうセンスの悪い部分に目を瞑ってさえ居れば、給料は十分だし、このまま何も新しいことをやらなくてもここから定年までたぶん惰性で生き残れてしまうと思っていた。人間関係や信頼などの無形の資産もあるし。いま転職するよりもこのままダラダラ過ごしたほうが絶対にトクだ。
  • しかし、会社がここ数年で社員たちに頻繁に出してきたメッセージがあって、それは「変化に抵抗するやつとか、チャレンジしないやつは要らん」みたいなやつだった。僕が退職を決めた後にも「我々は、できるとわかっていることを着実にやる人ではなく、できるかどうかわからないことにチャレンジする人です」みたいなことを言ってた。自分が会社に残ってユルく仕事をつづけて給料を貰いつづけることと、その会社が望んでいる社員像との間には決定的な矛盾があった。会社に残った場合、絶対にこれまでの自分の技術的資産を使ってちょっとずつ成果を出すしょぼいおじさんになってしまう。そしてそれは、僕や会社が望んでいることではないだろう。(僕が会社に残ることを望んでいる人もたくさん居そうだったんだけど)
  • 人間関係や社内での信用みたいな無形の資産があるので簡単に転職しないほうがいいって話はある。しかし僕はこの会社で何度も何度も経営陣の無理解により自分のその無形資産を破壊されている。いまもしその資産があるならこのタイミングで金に換えるのが正しい。利確できるときにしておくのは重要だ。
  • 退職するにあたって家族や親に相談や報告をしたんだけど誰一人として退職するのがもったいないと言う人は居なかったので良かった。

そんなわけで「会社を辞めることを決めてから転職活動する」みたいなダサい感じになってしまったんだけど、この人手不足の中、わりと苦労せずに次に働くところが決まったので、数ヶ月後にはまた働くことになります。転職活動にあたっては、たくさんお祈りメッセージを貰いましたがこちらからも何度かお祈りメッセージを送りました。再就職先ではぜんぜん仕事ができなくてメンタルがやられてしまうかもしれませんがそのときはそのとき。

P503iのエイプリルフールバグから25周年

昨日ドコモの3Gとiモードが停波&終了した。自分は2016年にiモード契約を止めてしまったので特になにもしなかった。

ところで25年前の2001年の1月、iモードでJavaアプリを動作させるiアプリサービスが開始されて、対応端末である503iシリーズが発売となった。松下通信工業(当時)のP503iは1月26日くらいの発売だったかと思う。そのP503iで、突然新しいアプリがダウンロードできなくなるという現象がその年の4月1日に発生した。
k-tai.watch.impress.co.jp


僕が知ったのは次の日だった(2001/4/1は日曜日だったので!)。
Javaアプリのアプリケーション定義ファイル(ADF)に、下記のような行を絶対に書かないといけないのだが、LastModifiedの日付を4月にするとP503iではダウンロードできなくなるという。

キー 内容
AppName アプリケーション名(最大16バイト)。携帯電話で一覧表示した時に表示される名前
PackageURL アプリケーション(JARファイル)のURL(最大255バイト)
AppSize Jarファイルのサイズ。アプリケーションは最大10240バイトに制限されています
AppClass アプリケーションのメイン・クラス名
LastModified アプリケーションの最終変更日時(JST) 例:Sun,1 Apr 2000 00:00:00

iアプリ・プログラミングに挑戦!(第2回) | 日経クロステック(xTECH)

原因はここの月を示す3文字を読み取るときにP503iはなぜか4月の日付けについて"Apl"という文字列だけを受けつけるように実装されていたからだった。4月を示す3文字は正しくは上の例にもある通り"Apr"だったので、恥ずかしいミスである。当然他の機種では"Apl"はエラーになるので、アプリ提供側としてはどちらにしてもどちらかの端末でエラーが出るコンテンツになってしまう。


結局、P503i向けの定義ファイルだけ特別扱いするか、4月については最終変更日時を3/31の適当な時刻などにマッピングしてもらうような汚い手段で回避してもらったと思う。


端末が発売されたのは1月だったのに、このバグは4月になるまで発覚しなかった。自分がほとんど関与していなかった箇所なのでテストなどがどのように行われていたのかわからないが、Aprilを"Apl"と略してしまうようなことは普通に考えてないだろ、って思っていたのでなかなかインパクトのある事件だった。おそらくちゃんとテストもしていたけど「"Apl"が正しいと思ってました」みたいな話だったのかなと。

初期のiアプリ対応の端末は他社のものもいろいろな問題を抱えていた。そもそもP503iはJavaの実行速度が遅すぎた。このバグの件も一因となって、パナソニックは新しい体制を構築して真面目にパフォーマンス向上したシステムLSIと、完全に刷新したiアプリプラットフォームのソフトを開発したのだった。P504i向けに。

ファンタジーゾーンについて

1986年にゲームセンターで稼動開始したファンタジーゾーンというセガのゲームがあった。今月はその40周年記念だそうだ。40周年ってすごくないですか? 当時13歳だった中学生がいま53歳になってるんですよ。


ファンタジーゾーンは、シューティングで、敵を倒すとコインを落とすことがあり、そのコインを拾ってショップに行くことでパワーアップアイテムを購入できるというのが特徴のゲームだった。そこだけがフィーチャーされていて、そういうところがポイントのゲームだと自分も思ってしまっていたんだが、その後X68000版が発売されじっくり遊んだときにいろいろな気づきがあった。


左右スクロールするマップでショット発射して左右からくる敵を倒すという本編のゲーム自体は、ウイリアムズ社が1980年に発売したディフェンダーがベースになっていそうだが(画面構成も似てるしスマートボムっていう名前で同じ機能のボムが存在しているし)、前線基地を全部倒すのが目的、というのはボスコニアンやタイムパイロットだった。それに気づいたのはゲーセンでこのゲームをクリアできるようになってからだった。


全部の面のボスが違っており、それぞれに特別な攻略が必要で、さらに8面の最終面では、1面から7面までのボスだけが連続で出現するという、ボスオンパレード演出が目新しかった。実際には前年に発売されたスペースハリアーの最終面がボスオンパレードだったのだけど、真のボスの前座としての既出ボスの連続出現の演出というのは、僕はファンタジーゾーンより前には知らない。ボスオンパレードはその後グラディウスIIでも採用されてよくある演出の一つとなった感がある。
(他にもあったよ、たとえばザナドゥのキングドラゴン前のデカキャラ連続とか、みたいな話はきっとあるとは思うが)


耐久力のあるボスと、攻撃力のありすぎる自機パワーアップとのバランスを取るために、大抵のボスは複数の弱点を全部攻撃しないと倒せないようになっているか、ちょっとずつしかダメージが与えられないようになっていた。たとえば6面ボスのウインクロンは弱点である目玉に1ダメージ与えるとまばたきをし、その間はダメージが与えられないので、一度に1ダメージしか与えられないようになる工夫がされていた。後に「パロディウスだ!」のボスが、この1ダメージずつしか与えられないシステムを全面的に採用していた。


左右スクロールで、画面中央でごちゃごちゃ操作しているときはできるだけスクロールしないように制御しつつ、左右どちらかに進むような状況になると、いい感じに進行方向が大きなスペースで見えるように自機の画面上の位置を調整するようにスクロールしてくるのも目新しい感じがした。ボスコニアンやタイムパイロットは自機は常に画面中央に居り、敵の弾がやや避けにくい感じがあった。少し工夫されたゲームでも、画面中央はスクロールしないで自機が動かせるゾーンがあり、そこからはみ出るように動くとその分だけ画面がスクロールするような動きをするものが多かった。ファンタジーゾーンのスクロールはそれとはだいぶ異なっていて、たとえば自機を右に進めるとき、自機が画面の右方向の特定のエリアに到達したら急にスクロールが始まって自機が画面左側に押しやられるような不思議な挙動をする。明確に状態の変化がある。スーパーマリオブラザーズで、こんな風にキャラクタの進行方向を見せるように工夫されたスクロールをするようになったのは1990年発売のマリオワールドからだと思う。


このゲーム、普通は、左右どちらを向いてどちらに進んでもよいという左右が対称なデザインなのだが、ボスのときだけはボスが右側、自機が左側の配置になる。1周目の1~5面まではボス戦では自機が右を向くこともなくなり完全に右方向にスクロールするシューティングのような画面構成になる。6面や7面のボス戦は左右どちらを向いて戦うこともできるが、ボス戦中の背景のスクロールは必ず右から左向きに流れるようになる。ボス出現前に左に向かってスクロールしているとボスBGMが流れはじめてからゆっくりとスクロール速度が変わってゆくことに気づいたときはその丁寧な作りに感激してしまった。


強制スクロールで進んでいくのではなく、ループするあまり広くないエリアで戦うシューティングは割と特殊なのであまり直接的なフォロワーが出なかった感じだけど、細かい工夫がいっぱいあって、その後の他のゲームに与えた影響は大きかったと思う。僕はこのゲームで、「なんか、かわいい画面の、お金集めてショップで武器を買うゲーム」というような理解でわかった気になっていては全然ダメで、何事も、もっと詳細を理解する必要があるのだ、という大事な学びを得た(おおげさすぎる)。

武蔵野にあるNTT技術資料館に行ってきました

去る3月6日に、家族全員が休みという稀有な平日があり、この機会に行ける場所ということで、以前から一度行かなくてはと思っていたNTT武蔵野研究開発センターの敷地内にあるNTT技術資料館に行ってきました。

一般公開がなんと「毎週 木・金曜日13:00~17:00」なので、なかなか行けない。そしてちょっと昼食を摂るのに時間がかかってしまい到着が14:00になってしまった。展示内容がめちゃくちゃ盛り沢山なため3時間ではとても見てまわれないのではと思っていたが実際その通りになった。



B1Fから1Fにかけて、明治時代に電話が発明されて、日本に導入され、戦後の復興と共に加入者数が大幅に伸びて大衆化していく歴史を綴ったエリアがあり、ここでもう1時間20分近くの時間をつかってしまった。

ICカード対応ISDN公衆電話。伊丹空港で使ったりしてた。懐しい。

1Fには回線交換機の技術を説明しているものすごく広いエリアがあり、ステップバイステップ回線交換機の仕組みを丁寧に説明してくれるビデオがあり見入ってしまった。このままクロスバ交換機とか電子交換機を見るとそれだけで今日が終わってしまうのでそこから先はそこまで詳細には見ないようにして全体を眺める感じになってしまった。

D10号電子交換機のところには、磁気テープ装置や磁気ドラムなどの実物が展示されていた。ラックの裏に入れたりして本当に間近で見ることができるのがすごい。

D10号E磁気テープ装置

磁気テープ装置は僕らが子供のころのコンピュータのイラストで良く書かれていたが実際に実用に供しているのを見たことは僕はない。しかし左下のキーボードと比べればわかるように巨大で圧倒される。

電子交換機のところにあった監視用パソコン。

詳細な説明なく置いてあったパソコン

こういう5インチフロッピーなんだけどレバーじゃなくて蓋をするやつときどきあったよね」と妻に話してもあまりわかってもらえず、自分はどこで見たのだろうと記憶を辿ったところ、X1(初代)のフロッピードライブCZ-800Fがこのタイプだったはず。調べてみるとディスクが入っているか入っていないかが見た目でわからず不便だったということが書かれていた。確かにそうかもしれない。

このパソコンはBS-21と書かれているNTT専用モデルであるが後で調べたところ沖電気製でif800RX model110っていう機種とほぼ同じものらしかった。


おおよその歴史と交換機までだけで3時間全部を使ってしまいそうになるところに、光ファイバ・マルチメディアなどは当然あり、さらに通信衛星や通信用鉄塔の技術などにも専用のエリアが儲けられてたくさんのものの展示と説明があった。建築なども非常に面白そうだったが時間がなくあまり見ることができなかった。

建築エリア。これは通信用鉄塔の技術。ここだけでも詳細に見るとかなりの時間を要してしまいそう

「電脳秘宝館・マイコン展」を見に角川武蔵野ミュージアムに行ってきた

所沢サクラタウンにある角川武蔵野ミュージアムに、歴史的なパソコンがいっぱい展示されているというので、割と家から遠かったんだけど行ってきました。
kadcul.com
この展示は4月6日までの期間限定なので、気になる方はぜひ。


まずHITAC 10が置いてあって、わりと感激しました。

HITAC-10 中身が見えるように開いた状態で置かれていました

HITAC 10は1969年に日立から発売されたミニコンで、まだ半導体メモリがなかったので磁気コアをメモリとして使っていた。これにはそのコアメモリのモジュールが2つ内蔵されているように見えた。

HITAC-10の筐体内のプラッタ部分

検索してみると昭和44年の日立評論に下記のような記述があったので、1つのメモリモジュールが4K word ということがわかった。1wordは16bitなのでこの2つのメモリモジュールで16KBなのだろう。

H-1610処理装置は
(1)演算処理部
(2)記憶装置部(4K語)
(3)入出力インタフェース制御部
(4)H-9331形データタイプライタ制御部
(5)操作盤
(6)電源
より構成されており,処理装置の中に収容されている。処理装置きょう体中にほ上記(1)~(5)を収容するプラッタ(48ピン・コネクタ約60個実装)のほかに,基本拡張機構と記されている第2のプラッタを実装する。基本拡張機構の上には
(1)基本増設記憶装置(4K語)
(2)経時時計機構
(3)テープ読取制御依構
(4)テープせん孔制御機
の四つのオプションがプラグイン形式に実装される。乗除算,倍長計算およびインデックスを行なうための付加機構である付加命令磯構は最初の処理装置のプラッタ上にプラグイン形式で実装される

http://www.hitachihyoron.com/jp/pdf/1969/11/1969_11_06.pdf

写真の右側のスロットの列が(1)~(5)を収容するプラッタであり、左側の列が基本拡張機構のプラッタなのかと思う。しかしほとんどのスロットの埋まっているのはすごい。このHITAC-10はASR-33(もしくはその同等機)というテレタイプ端末と接続されて使うことを想定されていたようで、そのASR-33も少し離れた場所に展示されていた(写真を撮ってくるのを忘れていた)。

HITAC 10は科学用計算機としての用途をメインとして開発されたようだけど、ある程度は他の用途にも使えるように考えていたみたいで、上の日立評論のイントロダクションの部分にも
「システム設計の上で演算の高速性と多様な命令群,融通性に富む入出力インタフェースを用意したため,単に小形科学用計算横としての用途に止まらず,多方向への応用が可能である」
とある。一般的にどう使用されていたのかはよくわからないが、同じく日立から1975年頃に発売されていた、アナログ計算機とデジタル計算機の両方が使えるハイブリッドコンピュータS-300というのがあり、それのデジタル部分を担うという役割も果たしていたようだ。6年後の機械の1コンポーネントとして使われるというのはそれなりの汎用性の高さを証明していると思う。

その他はだいたい8ビット時代のコンピュータが並んでいた。

IMSAI 8080

これはIMSAI 8080というやつで、Altair8800の互換機だった。見てわかるようにHITAC 10と同じようにディスプレイやキーボードがなく、やはりASR-33のようなテレタイプ端末、またはディスプレイを備えたダム端末と接続するのが一般的だったらしい。1975年の発売だ。1969年のHITAC 10はDRAMではなかったしCPUもTTL ICを組み合わせて作られていたが、こちらはSRAMまたはDRAMのチップと、Intel 8080 CPUを使って作られており、その後よく見かけるパソコンと似たような構成となった。この5年間のIC・LSIの進化はコンピュータの中身を変えたが、本体の見た目はあまり変わりばえがしないように見えた。

その後本体にキーボードを備えたいわゆるパーソナルコンピュータの時代になっていく。1977年にはオールインワン型のPET-2001がCommodoreから発表された。ほどなくしてApple IIが発表され、実際に商品が出荷されたのはApple IIのほうが早かった。PET-2001と同じくしてTandyもTRS-80を開発していた。

Commodore PET-2001

PET-2001はディスプレイやカセットレコーダなども含めた一体型になっており、キャラグラフィックが特徴的な文字セットなども含めてシャープのMZ-80K/Cに大きな影響を与えただろうと思われる機械だ。実物を見るのは40年ぶりくらいかもしれない。キーボードの小ささが印象的だが反応が悪くて評判は最悪だったみたいだ。

シャープのMZ-80K。1978年発売
NECのPC-8001。1979年発売

米国でPET/TRS/Appleが三つ巴の争いとなってしばらくして、日本では1978年に日立のベーシックマスターMB6880が、シャープのMZ-80K/Cが発売され、翌1979年にはNECがPC-8001を発売してパソコン御三家と呼ばれるようになった。ベーシックマスターはあまり売れてなかったようで、1981年に富士通がMicro8を発売すると御三家はPC・FM・MZになった。


あらゆる展示品を紹介していくとキリがないのだけど、展示品のメインは8bitパソコンで、16bit機は初代PC-9801とPC-100など、そしてAppleとNeXT製品を集めているコーナーがあった。でも、1980年代後半以降は、外観だけを見てもよくわからないだろうなという感じです。あの時代の、どんどん性能が進化して、できることが増えていく感じは、どのように表現すればうまく伝わるのか、なかなか難しい。これは両国のドコモ歴史展示スクエアでも思ったことだ。ドコモ展示スクエアのオフィシャルページは下記で、こちらは期間限定ではないのでいつでも。
www.docomo.ne.jp