「財政赤字の神話: MMTと国民のための経済の誕生 」の書評を読んだ

反緊縮派が積極的にバラマキせよと今でも言い続けているのに若干不安があっていろいろ調べていたところ下記の金江先生の書評に行きあたった。リンク先はPDFである。これは2021年に書かれたものである。

https://stars.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=9419&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1

 

だいたいMMTについて「わかりやすく解説」しているページでは「インフレにならない限り、国債はいくら発行しても問題はない」というようなことが書かれていて、でも何をしたらインフレにならないのか、何故いまインフレが抑えられているのか、がぜんぜん書かれていないことが多くて、なのでモヤっていた。しかしこの書評ではそれがちゃんと説明されていた。

予算に「財政的」制約がないからといって,政府ができること(そしてすべきこと)に「実物的」制約がないわけではない。どの国の経済にも内なる制限速度がある。それを決めるのは「実物的な生産能力」,すなわち技術の水準,土地,労働者,工場,機械などの生産要素の量と質である。(中略)。制約はたしかにある。しかしそれは政府の支出能力や財政赤字ではない。インフレ圧力と実体経済の資源だ。

そう。実体経済の資源が制約なのだ。生産要素の量と質が増える方向であれば支出してよい。でもそうじゃない方向への支出に制約が生じるのはMMTでも変わらないのだ。なにを持って生産要素の量とか質とか言っているのかに解釈の余地はあるのだが、全く将来に繋がらないけどもいまやっておきたい、みたいな活動に大金をつぎ込むとか、自分達がお金を払うけどそれで技術、労働者、工場などを得られるのは日本じゃなく外国企業、みたいなものに対する支出にはやはり制約が残るのだろう。

後半には金江先生の意見が書かれているがおおむね納得できると思った。

結局,ドルや円,ポンドといった主権通貨に政策余地が大きいのは,根本的には,その通貨の発行元であるアメリカ,日本,イギリスといった国の経済の生産力が高いからである。ジンバブエ新興国が主権通貨を持ちたくても,その国が経済発展すれば可能でも,生産力が低くては不可能だろう。だからこそ,たとえばアルゼンチンはドル建て国債を発行していたわけである。

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逆に言えば,日本は円建て国債を発行できるほど信用されているが,もし高インフレなどが起きて信頼されなくなったら,買われなくなる。

(納得したところを全部引用していると引用だらけになっちゃうので難しい)結局のところ日本の生産能力がいまのところまだ信用されているから国債が発行できているのであって、日本に競争力のある産業がなくなってしまったらアルゼンチンコースに嵌ってしまうのではないかという懸念がやっぱり解消されない。そしてハイテクな家電製品などの分野ではもう日本は世界に通用するものをほとんど作れなくなってしまった。1990年代にはあれだけ強かった半導体も完全に競争力を失なってしまった。自動車も最近の状況を見ているとそうなってしまってもおかしくない。

貿易赤字は「モノ」の黒字を意味する」ということも書かれている。たしかに貿易をしてモノを購入し、それが資産として残るなら「「モノ」の黒字」と言えると思う。しかしいまの日本の貿易赤字のうちかなりが化石燃料・医薬品が占めており、これらが「「モノ」の黒字」としてカウントできるのかどうかちょっと怪しいような気がする。それらが若い人達の将来を作るために使われているのであればよいのだが老人の延命に使われているだけなら問題かもしれず、そういう意味ではMMTではこれまでと同じかそれ以上に政府支出の使途であるとか輸入品目ごとの金額などに注意を払う必要があるのではないかという気がした。