アプリのコードは汚いもの

ただでもアプリのコードというのは汚いものであって、よほどモジュールとして独立性の高い部分を除けば同時に触っていいのは4人くらいが限度ではなかろうか。


感動した。


しかしゲームでは違うかもしれないがそれ以外の分野では
「がんばればアプリを再利用性の高い綺麗なコードで書けるハズだ」
と主張する奴が後を立たない。
企画とか客がロードマップもなくそのときの思いつきで付けたような機能をどんどん入れていって綺麗なコードが書けるわけがない。


システムの機能追加はビルの増築に喩えられることが多いが地下街とか地下鉄の延伸みたいな感じかもしれない。
延伸したい場所になんにもなければ簡単だが別の地下鉄が走ってたりするとかなり面倒。
京阪中之島線のようなことになってしまう。

あらかじめ延伸の予定がわかっていればそれなりに対策も立てられるが、
そうじゃなければ延伸が楽にできるかどうかなんて運以外の何ものでもない。


だいたいにおいて
「延伸なんて絶対しないからコストが安いやりかたで作れ」
と言うくせに後で
「延伸がうまくできないのは技術者がバカだからだ」
とか言われるわけだ。


そしてたまたま同一階層に別の地下鉄がなくてうまく延伸できたプロジェクトだけが、
「こうやって設計してればうまく拡張に対応できる」
みたいに成功例として紹介されそのやり方を強要される。
同じやりかたでやってもうまくいくかどうかは9割以上運に左右されるだろうに、
失敗すると「やっぱりおまえらは無能だ」と言われるわけだ。

愚痴になってしまったので初めて「続きを読む」をつかってしまった。