家事を分担することについて

家事分担を強制する洗濯機。こんな洗濯機のボタンを押すなんてのは洗濯のなかで一番簡単な作業じゃないか。こんなのの分担だけ強制できてもうれしくないやい。ていうかそもそも洗濯を分担することが家事分担に本当に繋がるのか? 疑問だ。


二人で一緒に一つの家に住むというのは、同一の資源を二人でつかうことになることを意味する。家事を分担しない場合には家事に使う器具であるとか道具であるとか場所であるとかいったものを一人が占有して使えるが、分担するとなった途端にそういうわけにはいかず、妻が洗濯機を使っているので夫は使えないという状況が発生する。同様に物干し場も誰かが使っているときは誰かは使えない。洗濯機なんてのはどうせ小一時間くらいしか連続で占有しないからまだしも、物干し場は長時間連続して占有されてしまうからより重要になる。
そんな風に、資源の排他制御のためには、リアルタイムに変化する情報の共有が必要なわけだけど、それ以外にも「どこに何をしまうか」とか、「どんなアイテムがあってどれはどんな風に処理するのか」とかそういった静的な情報も共有しないといけない。

どちらにしろ二人で同じタスクを分担して行うのにはそれなりのコストがかかるし、やり方を間違えると上手くいかないことになる。そうするとひとつのタスクを分担してやるよりもタスクごとにどちらの分担かを決めてしまってそれに専念するほうが、トータルとしてのコストは低く抑えられることになる。


服については、その購入時にそれをどう洗濯するか、どこに片付けるのかを考慮に入れて買う必要がある。洗濯はともかくそもそも片付ける場所があるかどうかというのは購入時には非常に大事なファクターなので、洋服ダンスの管理を夫婦の片側だけが受け持っているなら、いちいちその管理者にお伺いを立ててからでないと服が買えないという状況になる。そして購入したら洗濯の仕方を洗濯を担当する人に伝える必要がある。
最も服をよく購入する人が洗濯と洋服ダンスの管理の担当になると、この情報伝達のコストが最小で済む。つまり、いま高効率な家事のやり方を考えるならば、洗濯は一人で担当して、それは服を買う担当と一緒であることが望ましいし、服を買う担当は家計と洋服ダンスを握っている人間が担当することが望ましいということになる。


また、ある特定の種類の家事のやりかたについてどちらかの人がコダワリを持っているような状態で、家事を分担するためにはそのコダワリを分担相手と共有するために何らかの規則なり規約なりが必要になる。その規則を作るのが面倒だと思うなら、その家事についてはコダワリのある側が責任を持って全部やるしかなくなる。
自分の服が相方にどんな風に洗濯されてもまあ仕方ないと思っているから洗濯を任すことができるんであって、相手が信用できなくて自分で洗濯しないと不安でしかたがないという状況では家事の分担なんてできっこない。そこで相手の能力不足で信用できないなら相手を責めるのもしかたないけど、自分が必要以上にコダワっていたり、洗濯に手間がかかるような服ばっかり着てるとかだったら、そのせいで洗濯が自分の分担になってしまっても自業自得なんじゃないかと。


いや、わかってますって。そんな単純なもんじゃない、とか、多少非効率でも分担するほうがいいんだ! とか、イレギュラーな状況を考えれば二人とも洗濯できることにこしたことはないとか、いろいろ言われそうだってことは。

ちなみに、ウチでは家計も洋服ダンスもバラバラだから、「自分の服は自分で洗濯」というのが一番情報共有しなくていいのだ。物干しが共有だから一緒に洗って(洗ってもらって)るけど。