綺麗なコードとか完璧なコードとか

そういうのを求める人が居るのはわかる。
そういうのが重要だということもわかる。
でも必ずしも良いコードが求められない(コードが美しいことのプライオリティが低い)場面というのは往々にして存在する。

ゲームプログラムの場合
結局ゲームを買った人はゲームが楽しいかどうか、面白いかどうかが全てであって、コードなんて見ないんだから、コードを綺麗にしておくことはメンテナンス性だとか今後の拡張だとかバグが少なくなるとか、そういう内側の事情でしかない。
フラッシュアニメーションにおけるActionScript
結局アニメーションが綺麗かどうかが勝負なので以下略
進化の速いデバイスを使っている組み込み機器
最新のデバイスをいかに速く世の中に出すのが勝負な世界なので以下略


「綺麗なコード書いといたほうが結果的に速くて安くできるんだ」
そういう話はいいけど、だったら綺麗なコードを書くのは目的ではなく手段のはずで、
それが目的化することにはある程度歯止めをかけないと変なことになるんじゃないかな。


僕は組み込み屋なので、基本的に最終製品向けに特化したコードを書いているときは、綺麗なコードかどうかより画面表示が綺麗であるとか、バグがないことのほうが重要だと思っている。
でも同じような処理をやる同じようなプログラムを作っている場合でも、たとえばソースコードをお客さんに納めるときには、コードの綺麗さが売り物の価値に直結するので、綺麗なコードである必要がある。そのへんの切り替えができない人はダメな気がなんとなくする。