サイゼリヤと同じ料理でも雰囲気に金を払うんだという理屈だとバルミューダフォンも肯定されるべきのではないか

いやもうわざわざブログエントリを一つ起こす必要なくて、もうこれタイトルだけで全部伝わるんじゃないか。

  

 

こういうTogetterのエントリがあり、これはその下のほうのコメントも含めて非常にややこしい話だなと思ったわけです。

togetter.com

「質など見てなくて」とか言うけど、でも僕は「iPhone13miniとそのへんのエントリAndroidって、どっちも同じようなコンパクトスマホだから後者でいいでしょ」みたいに言われたら「なんだよこいつ」と思ってしまう。それはそこにはやっぱり値段分の性能差があるのがわかっているからなのだけど、でもスマホをカジュアルに使う層にとってはそこの性能差なんて全然わかっていないけどもiPhoneを選んでいる人達がたくさん居るというのも知っている。

「自分にとっては違いがわからないから不要」というのは、「32インチのテレビにフルHDは不要。1366x768のパネルと見分けがつかない」とかかいうのともしかしたら同じことを言っている可能性がある。

だから、もうちょっと高級なイタリアンとサイゼリヤを比べてサイゼリヤを貶すひとたちが本当に「質など見ていない」という決めつけを完璧にできるためには、そいつらに割と圧倒的にマウントできるくらいのイタリアンの知識が必要なんじゃねと思っちゃう。

 

 

そしてそれとは別に「実体として料理自体はサイゼリヤと同じであっても、俺たちは雰囲気に金を払っているし、それがわりと重要」というコメントが複数あったのだ。そしてそれも個人的には理解できる。だとするとバルミューダフォンは「4万円のスマホと同じような中身や性能であっても、端末の佇まいがいいの雰囲気に6万円出して、合計10万円でもいいぞ」という人向けの端末なので何も叩かれる謂れはないし、それを買った人を馬鹿にしてはいけないのだ。バルミューダフォンを買った人を無条件に馬鹿にするような人間になると、客単価4000円のイタリアンに行けなくなってしまうのだ。

 

しかしバルミューダフォンがそういう端末だったとすると、今起きている「14万円だった端末が売れないので値下げして7万円にしました」というのはちょっとよくないかなとは思う。半年で価値が半額になるようなブランドを、今後、値下がるのを待たずに初値で買うことができる人がどれだけたくさん居るのかはよくわからない。