モラトリアムプロジェクト

いつまで経っても仕様策定とか全体のコンポーネントの構成とかでうだうだ揉めて
詳細な設計とか実装に入れないプロジェクトって人生のモラトリアムな期間に似てるような気がする(ってきっと誰か同じことを書いてて、それを僕も以前に読んじゃってたりするんだろうなぁ。だからおそらくこの日記の内容は誰かのパクリ)。


メンバー内でも夢見がちな人がいて、最初のうちはなんでもできそうな気がして、プロジェクトの宣伝とかで凄く大きなこと言っちゃう。
どう考えてもそんな凄いことを実装するのはコスト的に不可能だから、何かを削っていかなきゃいけない、みたいな感じになるんだが、実際何を削るかとかの議論は大抵発散していつまで経っても決まることがない、という*1


しょうがないので無理矢理決めちゃったりするんだけどそのときに
「当初の想定どおりのものにならなかった。失敗だ!」
とか言うのはちょっとな…


牧場を継ぐことが決まってる奴が高校生までゲームに超ハマっててその時点で才能がありそうに素人目に思えたからという理由でゲームの専門学校行ったところでゲームクリエイターと牧場経営者を両立できるわけないんだよな。
というようなことを「N・H・Kへようこそ」を読み返したときに思ったりした。


そんなわけで、24歳まで学生のままだらだらしてた挙句ツブシが効くとかいう理由で普通の企業に就職してサラリーマンやってる(僕みたいな)奴が仕様策定とか設計を担当するってのは、なんかうまくいかない確率が結構高かったりするんじゃないのかという気がして凹む*2

*1:細かいところにいちいち論理性を求められたり本当にそれが最適解なのか調査しろとか言ってくる人が、特に開発現場からちょっと離れた世界に住んでる人に多いような気がする。しかし僕もそんな感じになっている時がある

*2:いや、騙されないで。違うから。人生のモラトリアムとプロジェクトとは基本的に違うもんだよ。一緒にして語るほうがおかしいよ