スマイルカーブが嫌い

むしろ、スマイルカーブという概念を簡単に使いすぎる連中が嫌い。


2000年頃、よく、こういう話をされた。

「これからはサービスとデバイスの時代だ。セットでいくら頑張っても儲からない」

でもその頃よく引合いに出されていて当時絶好調だったソニーという会社は、
バイスもサービスもダメダメで、セットで儲けていた。
VAIOAIBOも、部品に特徴があるわけでもなんでもなく、
売ったあとのサービスとかでも儲かっている様子はなく、
結局、商品単体のパッケージングで売ってたようなもんだ。


ソニーはゲームでも儲けていて、
確かにゲームはロイヤリティ収入が大きく、
スマイルカーブ論を補強する材料になっていた。


たしかにゲームハードを作る、という観点からすると、
ハードを売ったあとのサードパーティからのロイヤリティ収入はスマイルカーブの右端のサービスに分類されるのかもしれないが、
サードパーティからすればゲームソフトを作って売って儲けることはむしろカーブのど真ん中にあたる部分のはずだ。
そしてその頃はサードパーティもそこそこ儲けていた。

しかしスマイルカーブ信奉者の当時の論は下記のようなものだ。
「ゲームソフトを作るのはサービスを作ってるんだからスマイルカーブの右端じゃないか」


時代は変わりゲームを作っても儲からない状況になった。そうするとこうだ。
「ゲームを作っても儲からないのはスマイルカーブから自明だ。ゲームを売ったあとに何らかの付加価値をつけるサービスを行ってそこで利益を得るのが今の時代だ」
「たとえばキャラクターグッズなんかは儲かっているじゃないか」


結局のところ、
多数の競争相手がいて特色の出せない部分は儲からない。
なぜか競争相手がいない部分、特色の出せる部分、独占できる部分だったら、儲かる。
ACERがスマイルカーブを提唱した当時のPC業界ではたまたま後者の部分がデバイスとサービスだった。というだけ。


それだけのはずだったのだが、スマイルカーブを用いた説明がミョーに流行ったせいで、
儲かる部分をスマイルカーブの左右に、
儲からない部分をスマイルカーブの真ん中に無理矢理当てはめることや、
自分のやりたい部分をスマイルカーブの左右に、
自分のやりたくない部分をスマイルカーブの真ん中に無理矢理当てはめてプレゼンすることが
頻繁に行われるようになった。


結果的に、それなりにいい感じだったはずのスマイルカーブ理論は、
「世の中には儲からない部分と儲かる部分がある」
というそれだけの理屈に成り下がってしまった。


俺はスマイルカーブを用いた説明を見る度に、
「いまさらこんなことを言ってるこいつは馬鹿なのか?」
「むしろ俺が馬鹿にされているのか?」
「馬鹿なオヤジどもを説得するために仕方なく入れている図なのか?」
と思うようになってしまっているが、普通の人は違うんだろうか? なんか納得しちゃうもんなんだろうか?


たとえば
iPod nano の登場とスマイル・カーブが意味する日本産業の未来: カトラー:katolerのマーケティング言論
あたりがいい例だと思うが。

iPodとは、周到にこのスマイル・カーブ化しつつある業界の事業構造を念頭に入れた上で、見事に付加価値の高い(利益の上がる)両極を押さえるべく立ち上げられたビジネスモデルだということが推察できる。

この場合の両極ってなんだ?