1月17日

1995年の1月17日、僕はまだ学生で、卒論のドラフトを書かなければいけないけどもそのベースになるプログラムがちゃんと作れて居ない状態で、X Window Systemが動いているワークステーションの上のEmacsを使って徹夜でC++のコードを書いていた。地震があってそれまでに経験したことのない大きな揺れは起きたが、幸い震源から離れておりあまり大事にはならなかった。その日の昼に途中まで書き上げた卒論を先輩にチェックして貰う予定だったので、それが全然できていないことで焦っていて地震のことなど割とどうでもよかった。だが、肝心のその先輩の実家が尼崎にあって、しかもたまたま先輩は実家に帰っていて、実家が地震で被害を被ったとかで数日は学校に来ないとの連絡が朝の7時か8時に入り、締切が伸びたことに安堵した僕は当時住んでいた部屋に戻って寝たのだけど、13時くらいに起きてニュースを見たとき初めて神戸の惨状を知ってびっくりしたのだった。

 

 

それから25年経って、まだ僕はX Window Systemが動いているマシン上のEmacsC++のコードを見たりデバッグしたりしているのである。なんという進歩のなさ。この世界は日進月歩で数年前の技術は役に立たなくなるのではなかったのか。そして35歳で定年になってしまいそのあとは何もコードなんて書けなくなって無能おじさんになってのんびり暮らせるはずではなかったのか。責任者出てこい。そしてどうしてコードのコメントを書くための日本語入力をするためにC-x C-jのキーシーケンスを打ちシフトキーを駆使して▽の記号が出る入力方式をいまだに使い続けているのかもわからん。僕ら以外のホワイトカラーの日本人たちもオフィス作業で相当な時間を費やしているはずの日本語をコンピュータに入力するという作業について、いったいこの10年間でなにか進歩したのだろうか。

 

 

こんな状態だから「AIで職が失われる」とか言われてもいまいちピンと来ないのだ。どうせAIが進化した25年後も似たような仕事をやっているんじゃないかと思ってしまうのだ。