昔話といまの話

当時携帯電話のGUIの技術開発や実際の商品ソフト開発をやっていた僕が当時を振り返って下記のやつにコメントしたい。

 

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    例えば、狙ったところを操作できるような、タッチパネルの進化。昔のタッチパネルって強く押さないと反応せず、操作しにくくなかっただろうか?あれは抵抗膜方式といわれる方式が使われていたからだが、それが静電気で反応する静電容量式が普及することで一気に操作性が上がった。

    後はCPUの処理性能。過去のLinux搭載の携帯端末なんかは処理速度が遅く、ストレスがすごくなかっただろうか?

    だけどiPhoneは最初からぬるぬる動いていた。そのレベルでストレスなく動かせるにはCPUの性能が上がる2010年代を待たなければいけなかった。

静電容量式は新しい技術ではなかった(券売機とかATMとか)が、当時細かい操作に向かなかった。むしろ抵抗膜&スタイラスの方が細かい操作が可能だったため、そこに固執してしまったが、静電容量式チューニング&GUIを工夫した事が正解だった。

 

 

iPhoneは静電容量式だったから操作性が高かったわけではないし、静電容量式を採用したからユーザーに受けいれられたわけではなかった。
タッチパネルをタッチしたりドラッグしたりしてから画面に反応が出てくるまでの遅延時間が短かかったことが、タッチパネルを使えるUIにできた最大の要因だった。

タッチパネルでドラッグやスワイプのような操作をさせるためには、遅くてもユーザが操作してから100ms以内に画面に反応が出ることが必要。しかし当時の携帯電話のGUIフレームワークはもっさりしていてユーザがボタンを押してから画面に反応が出るまで200msかかることが普通。画面切り替えのときは1秒かかるようなこともあった。
一部のメーカーはJavaアプリのために丁寧に設計された描画・表示ルーチンを用意してできるだけ低遅延に動作させるよう工夫していたが、それを使いこなせるのはJavaチームのメンバーなど一部の人たちだけだった。彼らはこれをベースにしたプラットフォームが作れればもっといいUIが実現できるとわかっていたものの、大人数で分担して作っているアプリを、特定のセンスのある技術者が仕切って全部作りなおすというような提案は、当時の雰囲気がそれを許さなかった。
そんな中で世間はiPhoneの操作性に関しては「静電容量のタッチパネルと、マルチタッチと、処理中にアニメーションさせることによって快適な操作性を実現している」というのが定説になってしまっていた。
だから「それらを用意してやる。それ以上の金はないがタッチ対応携帯電話を作れ」というような方針になっていて、そこで「いやそれだけではぜんぜんダメでほぼ全てのGUI部分のソフトを作りなおすようなことが必要だしそれに合わせてミドルウェアも…」という話にGoがかかるわけはなかった。それで静電容量タッチパネルのハードだけ搭載したもののロクでもないソフトが乗った端末が2008年夏〜2009年冬にかけてたくさん出てきた。ロクでもなかったがそれに開発リソースを取れられてAndroidへの移行が遅れたのかもしれない。


タッチパネルについて言うと、2004年末に発売されたNintendo DSがヒットしたときも混乱を招いていた。あれは抵抗膜方式だったがサクサク動いてペン操作がたのしかった。低遅延だったからというのと、UIがゲームの価値に直結していてそこに優秀なプログラマやデザイナが投入されたからだし、重厚なGUIライブラリではなくリアルタイムにぐりぐり動く画面を作るための薄い3Dライブラリだけを用いてプログラムが作り込まれていたからだ(そしてiPhoneがそれに匹敵するヌルヌル動くUIを実現できたのはベースとして既にOpenGLバックエンドでGUIアニメーションをぐりぐり動かしていたMacOSがあったから)。しかしその事実に気付いていなかった(あるいは気付いていていも解決策が見い出せなかった ー たとえばゲームプログラマ並にインタラクティブなUIをさくさく開発できる優秀なプログラマなんて家電メーカには殆ど居ないし、MacOSみたいな素性のいいベースソフトも持ってない)偉い人たちはこのように説明した。「あれは2画面だから良い感じに動作できているのです」「あれはゲーム機だからです。携帯のような制限の大きい製品では実現できません」
iPhoneが出てきてそれが静電容量式だったとき、それらの偉い人はこう説明した。「これまでの抵抗膜方式ではなく、静電容量方式だからあのようなUIが実現できたのです」


これは、「間違った分析を元に間違った戦略を立てると失敗する」という、あたりまえの話である。だがこれはUIの話でしかない。iPhoneの革新的な部分が、もしUIだけじゃなく豊富なネイティブアプリが集まったからだというのであれば、それはまた違った要因で違った対策が必要になる。具体的にはiOSのような開発環境もそうだしAppStoreのような中央集権的なアプリストアもそうだ(ドコモは中央集権的なアプリストアを直接的には許されていなかったためトラステッドアプリなどのややこしい仕組みで頑張ろうとしていたがうまくいかなかった)

 

ところで、当時、券売機もATMも静電容量式ではなかった。あれは赤外線マトリクスか表面弾性波方式だったのではないか?

 


Linux 搭載のガラケーIPhone 直前のモデルはそこまで遅くはなかったし、PDA 勢から見ても CPU 的には一足飛びに進化したわけではなかった。ただハードウェア・OSから作り込むことで、画面の描画やブラウザのカスタマイズで他より早く見せることが出来た。

初代 iphone 以前に要素はあったというか、言い換えると同じ要素が揃っていても、他のメーカーには iphone が作れなかった。(正解が見つけられなかった)

という方が近いのでは。

話の大意としては変わらないけど、要素技術が揃うだけではダメで、それを使った正解の形を見つける事も必要っていう。

 

何が正解かは世間の雰囲気で決まってしまうところがある。
iPhoneが出る前、NDSが大ヒットしてた頃は2画面タッチパネルが大正義だったし、その前、例えば日本ではザウルスはタッチパネルとペンだけだったけど北米では物理QWERTYキーボードがないと売れないんだと言われてた時期もあった。いまはiPhoneがヒットしてタッチパネルだけのものに皆が慣れてしまっていてそれが正解とされているけど本当に正解なのかどうかは個人的には未だに疑問だ。iPhoneはやっぱりiPodをあれだけヒットさせたAppleが本気を出して取り組んでいる、という本気度が伝わったからみんながあれを正解だと信じれたのだと思うし、テスラのEVについても最初は懐疑的だったが7〜8年過ぎたあたりからEVの未来をなんとか信じられる人が増えてきた。


欧州は一体となってBEVが未来だと印象付けようとしているしそういう政策を進めている。これは水面下で主要な欧州メーカーがEVの技術にほぼキャッチアップしてそれがモノにできそうになってきた(これで日本メーカに勝てる)ことが明確になった段階で、いまの形のBEVの進化形が正解だとして規制や社会のムードを変えて勝ちに来ている。少なくとも電力に関しては2050年にはカーボンニュートラルになるんだという前提で
自動車はひとつの車種を開発して発売までこぎつけるのにプラットフォームを流用した場合でも3年はかかる。新規の場合は6年ほどかけて開発されるだろう。欧州がここ数年で急速にBEV化を進めてきているがそれに合わせて各メーカから何車種もBEVが発売されているのは、周到に準備を進めた結果だろう。一方で日本の政府のロードマップは数年でころころ変わるし日本車メーカーもそれに合わせて右往左往しているように見えて不安だ。しかし欧州がそうだったように日本も水面下で調整が進んでいる可能性はある(期待薄だがこれに期待したい)。


とはいえ社会のムードがわりと急に変化する場合があり、それには迅速に対応しないと致命的なことになる。ガソリン車→EV車という転換について、欧州ではそれが少し前に発生したという感じなのだけど、日本とアメリカでそれがいつなのかはよくわからない。いまのトヨタは当時のAppleのようにジョブズのキーノート一発で世間を見方につけることができるほどのカリスマはないから、どんな未来が急に来てもそこそこ対応できるように体制を整えておくしかなくて、いまのようになっているんじゃないかという気がする。